煩苛とは、細々とした煩わしさや手間のかかる様を指し、特に法令や政治の運用が複雑で厳しく、人々に負担を強いる状態を表す言葉である。
物事が込み入っていて、手続きや内容が複雑で、扱いにくくわずらわしい様子を指す。特に事務や手続きなどが複雑に絡み合い、処理に手間がかかる状態を表す。
煩多とは、雑事や手続きなど面倒なことが非常に多く、わずらわしさを感じる状態を指す。仕事や事務などが複雑に絡み合い、処理に手間取る様子を表す。
煩忙とは、用事や仕事が多くて忙しい状態を指す。また、そのような様子を表す語である。例えば「煩忙な業務」のように用いられ、同義の表記として「繁忙」も用いられる。
煩慮とは、心にわだかまる悩みや気がかりなことを抱え、思い悩む状態を指す。心が安らかでなく、もやもやとした憂いや心配事に苛まれる様子を表す。
煩累とは、わずらわしい付き合いや厄介な関わり合いを指し、面倒な問題や負担となる人間関係や事柄を意味する。
煩労とは、心身にわずらわしさを感じて疲労を覚えること、またそのような状態をもたらす面倒な手間や労苦を指す。
煩悩とは、人間の心を乱し、苦しみをもたらす根源となる、あらゆる執着や欲望の総称である。仏教においては、悟りを妨げるものとして、その克服が求められる。
煩擾とは、物事が複雑に入り組み、もつれて混乱している状態を指す。
心にわだかまる悩みや苦しみによって、もだえ苦しむ状態を指す。特に、自らの過ちや罪悪感など、内面から湧き上がる重苦しい感情に苛まれる様子を表す。
自分の子供を非常に可愛がり、大切にすること。また、そのような態度を示す人を指す。特に父親が子供に対して深い愛情を注ぐ様子を表す際に用いられる。
懊悩煩悶とは、心にわだかまる悩みや苦しみにもだえ、どうすることもできずに苦悶する様子を表す四字熟語である。「懊悩」は悩みもだえる意、「煩悶」は心が乱れて苦しむ意で、同義の語を重ねて強い苦悩の状態を強調している。
煩悩菩提とは、悟りを妨げる人間の迷いである煩悩も、そのまま悟りへと至る契機となり得るという大乗仏教の考え方を表す四字熟語である。煩悩と菩提は本来別物ではなく、真如の現れとして一体であると説き、迷いがあるからこそ悟りがあるという相即の関係を示している。
仏教において、人間の迷いの根源となるすべての欲望や執着を総称する語。六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が六塵(色・声・香・味・触・法)に触れる際に生じる好・悪・平の三種の反応を基に、それらが浄・染に分かれ、さらに三世に配されることで百八種と計算される煩悩の総数を示す。