四阿(あずまや)は、四方に柱を立てて屋根を設け、壁を設けない簡素な建物を指す。庭園や景勝地などに設けられ、休憩や眺望を楽しむための施設として用いられる。漢字表記としては「東屋」とも書く。「阿」はひさしや棟を意味し、別に「シア」と読むこともある。
「四阿」は「あずまや」と同義で、四方に屋根をかけ、柱だけで壁のない建物を指す。庭園などに設けられ、休息や眺望を楽しむための東屋(あずまや)を意味する。
セリ科の多年草で、イランやアフガニスタンを原産とする。茎の先端に黄色い小花を咲かせ、茎から採取した樹液を固めたものは駆虫剤などに用いられる。
阿漕は、非常に欲深く、情け容赦のない様子を表す。三重県津市の阿漕ヶ浦は禁漁地であったが、ある漁師が繰り返し密漁を重ねて捕らえられたという伝説に由来し、度を越した貪欲さやあくどい行為を指す。
阿含とは、釈迦の教えを伝える初期仏教経典の総称であり、原始仏教の根本聖典を指す。特に小乗仏教において重視される経典群で、釈迦の言行や教義を集成したものとされる。
阿堵とは、中国六朝から唐代にかけて用いられた俗語で、眼前の事物を指し示す指示代名詞であり、「これ」や「あれ」「それ」といった意味を表す。また、転じて「阿堵物」の略称として、金銭を指す場合にも用いられる。
ケシの未熟果から採取される乳液を乾燥させて得られる麻薬で、主成分はモルヒネである。鎮痛効果を持つ一方で、習慣性が強く、乱用は健康を著しく損なう。鴉片とも表記する。
阿母とは、母を敬愛の念を込めて呼ぶ語であり、また乳母を親しみを込めて呼ぶ語でもある。
阿呆とは、知恵が足りず愚かな様子、あるいはそのような人物を指す。物事の道理を理解できず、判断力に欠ける者をいう。関西地方で用いられる「あほ」と同義で、軽蔑やからかいのニュアンスを含むことが多い。
東南アジアや中国などにおいて、外国人に雇われて家事や世話などに従事する現地の女性を指す語。読みは「アモ」のほか、「アマ」と読まれることもある。
アオギリ科の常緑高木で、熱帯南アメリカが原産地である。幹に直接ウリ状の大きな果実を結び、その種子はココアやチョコレートの主要な原料として利用される。
阿闍梨とは、仏教において徳行が高く、弟子を指導する資格を持つ僧侶を指す。特に天台宗や真言宗では、正式な僧位の名称として用いられる。この語はサンスクリット語の音訳に由来し、場合によっては「アザリ」と読まれることもある。
阿修羅はインド古代神話における鬼神の名で、戦闘を好む性格として知られる。仏教においては八部衆の一つに数えられ、仏法の守護神としての側面も持つ。また「アスラ」と読まれることもある。
インドのマウリア朝第三代の王で、紀元前三世紀頃に初めてインド亜大陸を統一した。仏教を厚く保護し、法(ダルマ)に基づく統治を推進するとともに、広く仏教を国内外に伝道させたことで知られる。
阿僧祇は、仏教において用いられる極めて大きな数の概念であり、数えきれないほどの膨大な量を表す。また、数の単位としては、一〇の五十六乗、あるいは一〇の六十四乗という途方もない大きさを示す。
阿堵物は銭を指す異称である。この語は中国晋代の王衍が「銭」という語を忌み嫌い、代わりに「阿堵物」(これ、このものの意)と呼んだ故事に由来する。
アホウドリ科に属する大型の海鳥。かつては人を恐れない性質から無人島で容易に捕獲されたことに由来する名を持つ。別名を信天翁(あほうどり)ともいう。
阿弥陀は西方浄土に住まうとされる仏で、深い慈悲をもって衆生を極楽へと導くとされる。また、複数の縦線に横線を引いて行う「阿弥陀籤」の略称としても用いられる。
阿羅漢とは、仏教において一切の煩悩を断じ尽くし、完全なる悟りを開いた聖者を指す。特に小乗仏教では修行の最高位とされ、もはや輪廻の苦しみから解脱した境地にある者をいう。
阿剌吉とは、江戸時代にオランダ人によってもたらされた蒸留酒を指す。チョウジやニッケイなどの香辛料で香りを付けたもので、エジプトやインドなどで古くから用いられていた酒である。
阿候鯛はフサカサゴ科に属する海魚で、赤魚鯛とも呼ばれる。体色が赤みを帯びた外観を持ち、主に日本の沿岸海域に生息している。
阿菊虫はアゲハチョウ類のさなぎの俗称である。その姿は、尾部で木の枝に固定され、胸部が一本の糸で枝から吊り下げられたような形をしており、これは怪談「播州皿屋敷」で後ろ手に縛られたお菊の姿に似ていることから名付けられた。
オリーブはモクセイ科に属する常緑の小高木で、地中海沿岸地域を原産とする。日本では主に小豆島などで栽培されており、初夏には淡黄色で芳香のある花を咲かせる。その果実は搾油され、オリーブオイルの原料として広く利用されている。
阿衡之佐とは、天子を補佐する優れた臣下、特に名高い宰相を指す四字熟語である。阿衡は摂政や関白の別称であり、中国殷の湯王が宰相の伊尹をこう称した故事に由来する。ここから転じて、君主を支える有能な補佐役のたとえとして用いられる。
「阿轆轆地」は、物事が円滑に進む様子や、滞りなく順調に運ぶさまを表す四字熟語である。特に、話し合いや交渉がスムーズに進行する状況や、物事が抵抗なく回転していくような滑らかさを形容する際に用いられる。
阿諛便佞とは、相手の機嫌をとり、口先だけの巧みな言葉でこびへつらい、心からは誠実でないずる賢い振る舞いを指す四字熟語である。「阿諛」は顔色を窺っておもねることを、「便佞」は口先は達者だが心がねじけているさまを表し、しばしば「阿諛弁佞」とも書かれる。
阿諛追従とは、相手の機嫌をとり、気に入られようとしてへつらうことを指す四字熟語である。「阿諛」は相手の顔色をうかがい、気に入られるように振る舞うことを、「追従」はこびへつらう言動を意味し、合わせて卑屈なまでの媚びの態度を表す。
阿諛傾奪とは、人にへつらい媚びることで、その人の心を巧みに操り、利益や権力を奪い取ろうとすることを意味する。
阿諛迎合とは、相手の機嫌をとり、気に入られるために自らの意見や態度を曲げてまでへつらうことを指す。相手の顔色をうかがい、その意向に合わせて振る舞う「阿諛」と、自らの考えを無理に合わせてまで相手に合わせる「迎合」とが結びついた四字熟語である。
「阿附迎合」とは、相手の機嫌をとり、気に入られようと努めることを指す四字熟語である。「阿附」はへつらい付き従うこと、「迎合」は自らの考えを曲げてまで他人の意向に合わせることを意味し、両語が重なることで、主体性を捨ててまで他人に従おうとする姿勢を強調している。
阿鼻地獄は仏教における八大地獄の一つで、最も深く苦しみの絶えない地獄とされる。梵語の音訳「阿鼻」は「絶え間ない」を意味し、そこに堕ちた者は果てしなく責め苦を受けると説かれる。転じて、耐えがたいほどの悲惨な状況や苦痛に満ちた境遇を喩える表現としても用いられる。
阿鼻叫喚は、極めて悲惨な状況に陥り、人々が泣き叫び救いを求める有様を表す四字熟語である。「阿鼻」は仏教における八大地獄の一つ、無間地獄を指し、重罪を犯した者が落ちる終わりのない苦しみの世界を意味する。「叫喚」は激しくわめき叫ぶことを表す。合わせて、地獄絵図のような修羅場や、筆舌に尽くしがたい混乱と悲嘆の光景を描写する際に用いられる。