犬の子を指す語で、えのころとも呼ばれる。漢字では「狗」と書くこともある。
犬と馬を指す語で、転じて取るに足らない者や自分をへりくだって言う表現として用いられる。主に「犬馬の労」などの成句で、目上の者への忠誠や奉公を謙遜して述べる際に使われる。
狂犬病に感染し、凶暴性を帯びて人や他の動物に無差別に噛みつくようになった犬を指す。
猟犬とは、狩猟において獲物の発見、追跡、捕獲、回収などを補助するために訓練された犬の総称である。
イヌガヤ科の常緑低木で、暖地に自生する。葉は線形であり、その種子から採れる油はかつて灯火用に利用された。名前に含まれる「犬」は、食用に適さないものを指し、カヤに似ているが実に悪臭があり食べられないことに由来する。別名をヘボガヤともいい、「粗榧」と表記することもある。
アブラナ科の多年草で、道端や野原に自生する。春から夏にかけて黄色い十字形の花を咲かせ、後に細長い線形の果実をつける。ノガラシとも呼ばれる。
犬蓼はタデ科の一年草で、道端などに自生する。夏から秋にかけて、紫がかった赤色の穂状の花を咲かせる。別名をアカマンマともいう。その名は、食用にならないタデであることに由来する。
狛犬は神社の入口や社殿の前などに一対で置かれる想像上の獣の像である。獅子に似た姿をしており、通常は口を開いた「阿形」と口を閉じた「吽形」が左右を守る形で配置される。その起源は古代朝鮮半島の高麗に由来するとされ、魔除けや守護の役割を担っている。
犬追物とは、鎌倉時代に武家社会で行われた騎射訓練の一種で、騎馬の武士が走る犬を追いながら木製の矢で射る技芸を指す。
目の不自由な人の歩行を安全に導くために特別な訓練を受けた犬。
犬黄楊はモチノキ科の常緑低木で、山地に自生する。庭木や盆栽として観賞用に栽培され、よく分枝し、小さな革質の葉が密生する。名前に含まれる「犬」は、同類の中で劣るものや似て非なるものを指し、ツゲに似ているが材質などがツゲより劣ることからこの名が付けられた。
犬枇杷は、クワ科の落葉低木である。暖かい地方の海岸付近に自生し、秋にはイチジクに似た果実を熟す。別名として「天仙果」とも表記される。
瓦鶏陶犬とは、瓦で作られた鶏と陶器で作られた犬のことで、見かけは本物のようでも実際には役に立たないもののたとえです。転じて、外観は立派でも実用に耐えない人物や物事を指して用いられます。
驢鳴犬吠は、驢馬の鳴き声と犬の吠える声を合わせた四字熟語で、聞く価値のないつまらない言説や、取るに足らない文章の喩えとして用いられる。『朝野僉載』に典拠を持ち、「犬吠驢鳴」とも言う。
「邑犬群吠」は、村にいる犬が群れをなして吠える様子から転じて、取るに足らない人々が集まり、盛んに他人の噂や悪口を言い立てることを喩えた四字熟語である。また、多くの凡庸な者が賢人を非難し中傷する状況を指しても用いられる。出典は『楚辞』「九章・懐沙」にある。
陶犬瓦鶏とは、陶器で作られた犬と瓦で作られた鶏のことで、見かけは本物に似ていても実際には何の役にも立たないものを指す。転じて、外見は立派だが実用性に欠け、中身の伴わない人物や物事の喩えとして用いられる。
蜀犬吠日は、蜀の地が山に囲まれ霧が多く、太陽をめったに見られないため、犬が珍しがって日に向かって吠えるという故事に由来する。転じて、見識が狭く経験の乏しい者が、ありふれた事象や道理を理解できず、むやみに疑ったり非難したりする様子をたとえる。
鶏犬不寧とは、騒動や混乱が非常に激しく、鶏や犬のような家畜までもが安らかでいられないほどの状況を指す。転じて、世の中が非常に騒がしく、人々が落ち着いて暮らせない状態を表す。
犬猿之仲とは、犬と猿のように互いに相容れず、非常に仲が悪い間柄を指す。両者の関係が険悪で、激しく対立している様子を表す四字熟語である。
犬吠驢鳴とは、犬の吠える声と驢馬の鳴く声が入り混じる様子を表す四字熟語で、『朝野僉載』に典拠を持つ。転じて、取るに足らない者たちがやかましく騒ぎ立てることを喩え、その言説や議論が無価値で騒がしいだけであることを意味する。