切願とは、心の底から強く願い望むことを指す。切実な気持ちを込めて何かを強く望む様を表し、切望や懇願に近い意味を持つ。
本願とは、本来の願いや長年の念願を指す。また仏教用語としては、仏や菩薩が一切の衆生を救済しようと立てた誓願を意味し、特に阿弥陀仏の四十八願を指すことが多い。
長い間心に抱き続け、実現を強く望んでいる願いのこと。
天皇が国家の安泰や国民の幸福などを祈願すること。また、その祈願に基づいて建立された寺院を指すこともある。
哀れみを引き出そうとするような切実な様子で、相手に何かを強く頼み込むことを指す。
神仏に対して祈りを捧げ、特定の願い事をすること。また、仏教においては、一切の衆生を救済しようと誓願を立てることを指す。
宿願とは、長年にわたり心に抱き続けてきた強い願いや望みを指す。実現を強く望みながらも機会を得られず、胸中に秘めてきた目標や理想を意味する。
悲願とは、心から強く望み、何としても成し遂げたいと願う悲壮なまでの強い願いを指す。また仏教においては、仏や菩薩が一切の衆生を救済しようとする誓願のことも意味する。
満願とは、神仏に祈った願い事が成就することを指す。また、一定の期間を定めて祈願を続け、その定められた日数が満ちることも意味し、この場合には結願と同義で用いられる。
訴願とは、行政機関による処分などに不服がある場合に、上級の行政機関に対してその処分の取消しや変更を求める手続きを指す。また、広くは自身の願いや主張を訴えかける行為を意味する。
嘆願とは、切実な事情を訴え、心を込めて願い求めることを指す。特に、助命嘆願書のように、深刻な状況において強い思いで請い願う場合に用いられる。「歎願」と書くこともある。
懇願とは、切実な気持ちを込めて強く願い求めることを指す。心から望み、相手に熱心に頼み込む様子を表し、例えば協力を懇願するなどのように用いられる。また、「悃願」と表記することもある。
願書とは、入学や入社など特定の事柄について許可や承認を得るために提出する書類を指す。また、神仏に対して祈願の内容を記した文書、すなわち願文の意味でも用いられる。
ある事柄が実現することを強く望む気持ち、またはそのような望みそのものを指す。心から期待し、切に願い求める心情を表す語である。
願文とは、仏や菩薩の本願を記した文書、あるいは神仏への願い事を書き記した文書を指す。後者を特に発願文とも呼ぶ。
弘願とは、広大無辺な誓願を指し、特に阿弥陀仏が一切衆生を救済せんと立てられた本願をいう。
心の底から切実に願い求めることを意味する。同じ意味で「懇願」と表記されることもある。
歎願とは、切実な気持ちを込めて願いを申し立てることである。特に、権威ある者や機関に対して、何かを実現してくれるよう強く請い願う行為を指す。
回向発願は、仏教において功徳を他者に振り向け、その功徳によって成仏を願うことを指す。特に浄土教では、阿弥陀仏の本願力を信じ、自らの善行を一切の衆生の往生のために回向し、自らも極楽往生を願う実践を意味する。『無量寿経』などに説かれる重要な概念である。
「飲河之願」とは、自分の分をわきまえ、ささやかな望みに満足することを表す四字熟語である。『荘子』逍遥遊篇に由来し、鼴鼠(もぐら)が黄河の水を飲もうとしても、せいぜい腹いっぱいになる程度しか飲めないという故事に基づく。転じて、身の程を知り、大それた望みを抱かない控えめな心構えを指す。
熱願冷諦とは、何かを求める際にはひたむきに熱意を込めて願い、それが叶わないと分かった時には冷静に受け入れ、執着を捨てて諦める心境を表す四字熟語である。
他力本願とは、本来は仏教用語で、阿弥陀如来の本願力に頼って極楽往生を遂げることを指す。転じて、一般には自らの努力を怠り、他人の力ばかりを当てにする態度やあり方を意味する。
心願成就とは、長年にわたり心に抱き続けてきた願いや望みが、ついに実現することを指す四字熟語である。神仏に対して深く祈りを捧げる「心願」と、その祈りが叶えられる「成就」とが結びつき、切なる願いが成就した状態を表す。
四弘誓願とは、大乗仏教において菩薩が立てる四つの広大な誓願を指す。すなわち、一切の衆生を救済する衆生無辺誓願度、一切の煩悩を断じる煩悩無尽誓願断、一切の教法を学ぶ法門無量誓願学、そして無上の悟りを成就する仏道無上誓願成である。これは菩薩の実践の根本となる志を表す語である。