弥生は陰暦三月の異称で、春の季節を表す。草木が生い茂り、すべてのものが次第に成長する時期を指し、春の穏やかで豊かな雰囲気を連想させる言葉である。
「弥終」は、物事の最も終わりの部分、すなわち最終の段階や結末を指す語である。時間や過程においてこれ以上続くことがない極限の地点、あるいは一連の出来事の完結する時点を表す。
「弥次」は、他人の言動をからかったり、冷やかしたりする言葉を指し、またそのような行為そのものを意味する。特に、大勢で騒ぎ立ててからかう様子を「弥次を飛ばす」と表現する。また、群衆が騒ぎ立てる様子を表す「弥次馬」の略語としても用いられる。表記としては「野次」と書くこともある。
覚弥とは、細かく刻んだ漬物を指し、塩や醬油をかけて食したものである。その由来には諸説あり、江戸時代の料理人である岩下覚弥が創始したとも、あるいは高野山において隔夜堂を守る歯の弱い老僧のために考案されたものとも伝えられている。
弥栄とは、物事がこれまで以上にますます栄え盛んになることを指す。特に、家門や事業などの繁栄が続く様子を表し、祝いの席などで将来の発展を願って用いられる表現である。
長い年月にわたって続くさまを表す。特に、無為に過ごした長い期間を指して用いられる。
弥陀は阿弥陀の略称であり、西方極楽浄土に住まうとされる仏である。一切の衆生を救済する慈悲深い仏として信仰され、阿弥陀仏や阿弥陀如来とも呼ばれる。
「弥猛」は、心の高ぶりや気持ちの昂揚が次第に強まり、勇ましく奮い立つ様子を表す。特に、何かを前にして抑えきれないほどの勢いや意気込みが増していくさまを指す。
須弥山は仏教の世界観において中心に位置する高い山であり、海上に聳え立っているとされる。その頂上には帝釈天が住み、中腹には四天王が住むと伝えられる。スミセンとも読む。
阿弥陀は西方浄土に住まうとされる仏で、深い慈悲をもって衆生を極楽へと導くとされる。また、縦横の線を引いて行う籤、阿弥陀籤の略称としても用いられる。
多くの月日を無駄に過ごし、物事が長引くこと。また、無為に時間を費やして事態を遷延させる様子を指す。「曠日」は多くの日数を経ること、あるいは無益に月日を過ごす意。「弥久」は長い時間が経過することを表し、「弥」は時間が経つ意を含む。