人格や知識、技芸などが十分に発達し、深みと豊かさを備えている状態を指す。長年の経験や修練を経て、洗練され、完成度の高い境地に達した様子を表す。
半熟とは、食べ物が完全に火が通っておらず、生と加熱の中間の状態を指す。特に卵においては黄身がとろりとした状態の半熟卵を意味する。また、果実が未だ熟しきっていない状態や、技芸などの修練が十分でなく未熟な様子を表す際にも用いられる表現である。
未熟とは、果実などがまだ十分に熟しておらず、青くて食べ頃ではない状態を指す。また、学問や技術、人格などにおいて、修練が足りずに十分な水準に達していない様子を表す。
生熟とは、未熟なものと成熟したもの、あるいは経験の浅い者と熟達した者など、物事の熟達度や完成度において異なる段階にあるものを併せて指す表現である。
成熟とは、果実や穀物が十分に実り熟することを指す。また、人間が心身ともに十分に成長し、円満な状態に達することも意味する。さらに、物事がちょうどよい時期を迎え、機が熟した状態を表す際にも用いられる。
長年の経験を積み、その分野において十分に熟達し円熟の域に達している様子を指す。
果実や種子がその植物としての生育過程を終え、食用に適するまで十分に熟した状態を指す。特に、風味や香りが最高に達した食用の農産物について用いられる。
通常よりも遅い時期に成熟することを指し、特に作物や果実が予想より遅く熟す場合や、人間の成長や能力の発達が平均より遅い様子を表す。早熟の対義語として用いられる。
豊熟とは、穀物や果実などが十分に実り熟すことを指し、豊かに実る様を表す。豊穣と同義で、主に農作物の収穫が多く、成熟が十分である状態を形容する際に用いられる。
慣熟とは、ある物事に繰り返し接することで次第に慣れ、その技術や知識を身につけて上手に扱えるようになる状態を指す。例えば、機械の操作や特定の技能において、経験を重ねることで習得し、円滑にこなせるようになる過程や結果を表す。
練熟とは、長年の経験を積み重ねることによって、ある技能や技術が洗練され、優れた水準に達している様子を指す。特に、熟達した腕前や円滑な動作を形容する際に用いられる。
十分に加熱調理された食べ物を指し、特に煮る・焼くなどの方法で柔らかく仕上げられた料理を意味する。火を通した食品全般を指すこともある。
熟睡とは、深く眠り込んでいる状態を指す。睡眠が十分に深く、周囲の物音などに容易には目覚めないほどにぐっすりと眠っている様子を表す。
ある技能や技術が十分に習得され、優れた水準に達している状態を指す。長年の経験や修練を経て、その分野において高度な能力を発揮できるようになることを意味する。
熟寝とは、深く心地よい眠りにつくことを指す。表記は「旨寝」や「味寝」とも書かれる。
ある物事について細部まで詳しく知っていること。長い経験や深い関わりを通して、その対象を隅々まで理解している状態を指す。
熟田とは、丹念に手入れを重ねて土壌を肥やし、耕作に適した状態に整えられた田んぼを指す。
熟思とは、ある事柄について深く考えを巡らせ、十分に思考を重ねることを指す。単なる思案ではなく、時間をかけて入念に考察する行為を意味する。
物事について時間をかけて十分に考えをめぐらすことを指す。単なる思案ではなく、深く注意を払い、様々な角度から検討を重ねる過程を含意する。
熟視とは、対象をじっと見つめ、注意深く観察することを指す。特に、相手の表情や様子を丹念に見極めようとする際に用いられる表現である。
長い経験や繰り返しの練習によって、ある技能や技術に十分に慣れ、巧みに扱えるようになった状態を指す。
熟考とは、物事を深くじっくりと考えることを指す。単なる思案ではなく、時間をかけて注意深く考察を重ねる様を表し、重要な判断や発言の前に行われる慎重な思考過程を意味する。
熟柿とは、十分に熟して甘みが増した柿の実を指す。秋の季語としても用いられ、木から自然に落ちるほど熟した状態を表す。
熟鮨(なれずし)は、塩漬けにした魚に飯を合わせ、酢を用いずに長期間漬け込み、乳酸発酵によって自然に酸味を生じさせて作るすしの古い形態である。くされずしとも呼ばれ、「馴鮨」と表記されることもある。
果物などが熟しすぎて柔らかくなり崩れる状態を指す。また、文化や芸術などが極度に成熟し、洗練されきった様子を表す。
熟瓜とは、よく熟したマクワウリのことを指す。その名の由来は、完熟するとへた(ほぞ)が自然に取れることに因んでいる。
熟字訓とは、漢字一字ごとの音や訓に関わらず、二文字以上の漢字で構成される語をまとめて訓読みする方法を指します。例えば、「五月雨」を「さみだれ」と読むように、個々の漢字の読みからは直接導かれない、語全体に対する固有の訓が当てられるものです。
老成円熟とは、長年の経験を積み重ねることによって、人格や技量が完全に成熟し、円満で深みのある境地に達している様子を指す。特に、人間性や芸道において、洗練された落ち着きと柔軟な対応力を兼ね備えた完成度の高い状態を表す。
熟慮断行とは、物事を決める際に十分に時間をかけて深く考えを巡らせ、その上で迷うことなく思い切って実行に移すことを意味する四字熟語である。
熟読三思とは、文章を繰り返し丁寧に読み込み、その内容について何度も深く考えを巡らせることを意味する四字熟語である。
詩文や文章を繰り返し丁寧に読み込み、その中に込められた意味や道理を深く理解し、味わい楽しむことを指す。
熟思黙想とは、黙して静かな心持ちで、物事を深くじっくりと考えることを指す。熟思は十分に考えを巡らせることであり、黙想は沈黙のうちに心を静めて思いを深めることを意味する。
「耳熟能詳」とは、何度も聞いて内容をよく知っているため、詳しく説明できるほどに理解している様子を指す。この語は、宋代の欧陽脩が父の事績を記した「滝岡阡表」に由来し、繰り返し耳にして熟知していることを意味する。
「滾瓜爛熟」は、丸々と育った瓜が完熟している様子から転じて、物事を完全に熟知していること、あるいは文章などを一字一句間違えずに暗唱できるほどによく覚えていることを喩える四字熟語である。
軽車熟路とは、軽やかな車で慣れ親しんだ道を進むことを意味し、物事に精通していて、その処理に何の苦労もない様子を表す。唐の韓愈の「送石処士序」に由来する四字熟語である。