ある物事に必要以上に執着し、それにとらわれて柔軟な対応ができなくなることを指す。特に些末な事柄や結果に固執する様子を表す。
泥酔とは、酒にひどく酔って正気を失う状態を指す。伝説上の虫「泥(でい)」が骨なくよろめく様子に由来し、意識が朦朧とし記憶が途切れるほど深く酔うことをいう。
粘土で作られ、焼成を経ていない人形を指す。土人形や泥人形とも呼ばれ、中国では雨乞いなどの儀礼に用いられた。
泥塗とは、雨などで地面が水分を含んで柔らかくなり、泥が深くたまった状態の場所を指す。また、そのような場所を歩くことで衣服や体が泥にまみれる様子も表す。
他人の所有物を無断で持ち去る行為、またそのような行為を行う者を指す。窃盗を生業とする者や、その行為そのものを意味する。
春先の雪解けや霜解けによって地面が柔らかくぬかるんだ状態を指す。
障泥(あおり)は、馬具の一種で、馬の腹と鐙の間に垂らして、馬が走行する際に泥が跳ね上がるのを防ぐ役割を果たす。通常は円形をしているが、武官が用いるものは方形であったとされる。また、「泥障」と表記されることもある。
泥濘は、雨などで水分を含んで柔らかくなり、足が沈むような状態の地面を指す。泥やぬかるみを意味する漢字「泥」と「濘」から構成され、主にぬかるんだ道や場所を表現する際に用いられる。
泥鏝とは、左官職人が壁を塗る際に用いる道具で、鏝の一種である。主に土や漆喰などの材料を塗り広げたり、表面を整えたりするために使われる。
泥梨(ないり)とは、仏教において生前の悪行の報いを受ける苦しみの世界、すなわち地獄を指す語である。奈落(ならく)と同義で、その語源はサンスクリット語(梵語)の音訳に由来する。
膠泥とは、セメントと砂を水で練り合わせた建築材料を指す。主にレンガやブロックを積む際の接着剤として、あるいは壁の下地や仕上げに用いられ、モルタルと同義である。
互いに相手の弱点や過ちを執拗に攻撃し、醜くののしり合うような、泥沼化した争いや争訟を指す。
青味泥は、緑藻類ホシミドロ科に属する淡水産の藻類で、水綿とも呼ばれる。水中に糸状の群体を形成し、緑色を呈するのが特徴である。
水にぬれて泥にまみれることを指す四字熟語で、他人を救おうとする際に自らの身を顧みずに尽力する様子を表す。『永平広録』に典拠を持つ。
泥中の蓮は、汚れた環境にあっても清らかさを保つことのたとえである。泥水の中から生じながらも清浄な花を咲かせる蓮の姿に由来し、俗世の穢れに染まらず、高潔な精神を失わない生き方を指す。仏教経典の『維摩経』を典拠とする四字熟語である。
泥船渡河とは、泥で作った船で川を渡るという意味から転じて、非常に危険な方法で世の中を渡っていくことの喩えである。頼りにならない手段や基盤の弱い状態で困難な事に挑む危うさを表す四字熟語で、『三慧経』に由来する。
泥車瓦狗とは、泥で作った車と瓦で作った犬のことで、外見は本物に似ているが実用性のないものを指す。転じて、見かけ倒しで中身が伴わないものや、役に立たない人や物事を喩える表現である。
泥牛入海とは、泥で作られた牛が海に入るとすぐに溶けて消えてしまう様子から、一度行ったきりで二度と戻ってこないことや、音信が途絶えたまま消息がなくなることを意味する。また、物事が跡形もなく消え去り、何の手がかりも残らない様子の喩えとしても用いられる。
雪泥鴻爪は、雪解けの泥の上に残る水鳥の爪跡を指す。この跡はすぐに消えてしまうことから、人生の儚さや、人の行いや出来事が過ぎ去って何も残らない様子の喩えとして用いられる。中国の詩人蘇軾の詩に由来する四字熟語である。