不惑とは、心が迷わず物事の道理を理解し判断を誤らない状態を指す。特に四十歳を表す語としても用いられ、これは『論語』にある「四十にして惑わず」という記述に由来する。
当惑とは、予期せぬ出来事や理解しがたい状況に直面して、どのように対応すべきか分からず、途方に暮れる様子を指す。困惑し、判断や行動に迷いが生じる状態を表す。
困惑とは、予期せぬ事態や難題に直面し、どのように対処すべきか判断がつかず、途方に暮れる様子を指す。心の動揺や迷いを伴い、解決策が見出せない状態を表す。
心が乱れ、正しい判断ができなくなる状態を指す。道理を見失い、理性を保てなくなる様子を表す。
思惑とは、ある事柄に対して抱く意図や見込みを指す。また、世間からの評判や人気を意味することもあり、相場の変動を予想して行う取引についても用いられる。
他人の言動によって不快な思いをしたり、困ったりする状態を指す。また、そのような行為そのものを表すこともある。
ある物事に深く心を奪われ、理性を失うほどに熱中し、身を滅ぼすような状態に陥ること。
心が大きく動揺し、正しい判断ができなくなるほど混乱した状態を指す。また、そのように人を混乱させる行為をも意味する。
ある物事に深く心を奪われ、理性を失うほどに夢中になること。また、そのような状態に陥ること。
疑いを抱くこと、またその疑いの気持ちを指す。事柄や人物に対して確信が持てず、真偽や正しさを判断しかねる心理状態を表す。
人の心を迷わせ、好ましくない方向へと引き込もうとする行為やその力のことを指す。特に、理性では避けるべきと分かっていながらも、強い魅力や甘言によってつい従ってしまいそうになるような状況をいう。
人の心を強く引きつけ、理性を失わせるほどに夢中にさせるような、強烈な魅力やその状態を指す。
昏惑とは、物事の道理がわからず、判断に迷って混乱した状態を指す。心がぼんやりとして、物事の筋道を見失い、正しい方向を見定められなくなる様を表す。
目がくらんで判断力を失うこと。また、人をまどわせて正しい認識を妨げることを指す。
恐れや不安のために心が乱れ、どうしたらよいかわからずに迷う様子を指す。
人を欺き、虚偽の言葉や情報を用いてその心を混乱させ、誤った判断や行動に導くことを指す。
人の心を迷わせ、強く引きつけて離さないような魅力を持つこと。特に、理性では理解しがたい不思議な魅力や、妖しいまでの吸引力を指す。
妖言惑衆とは、怪しげな言説や根拠のない噂を広めて人々を惑わし、社会の秩序を乱すことを指す。『三国志』魏書の刑罰志にも見えるように、古くから虚偽の言辞で民心を混乱させる行為は、為政者によって厳しく戒められてきた。
迷惑千万とは、非常に厄介な目に遭い、これ以上ないほど困り果てる様子を表す四字熟語である。「迷惑」がもたらす煩わしさや不快感が極限に達していることを強調し、特に相手の非礼な行為に対する強い非難の意を込めて用いられることが多い。
『論語』為政篇に由来する四字熟語で、四十歳を指す。人生において迷いがなくなる年齢とされ、自己の信念や価値観が確立された成熟した時期を意味する。
知者不惑とは、真の知恵を持つ者は物事の道理を深く理解しているため、迷いや疑いを抱かないという意味である。『論語』「子罕篇」に由来する四字熟語で、知識や学識だけでなく、人生の真実を見極める洞察力を備えた人物の境地を表す。
大惑不解とは、非常に困惑し理解できない様子を表す四字熟語である。『荘子』「天地篇」に由来し、深遠な道理に対して全く理解が及ばず、強い疑問や戸惑いを抱く心境を指す。
四十歳に至って人生の迷いがなくなること。孔子が『論語』為政篇において自らの歩みを述べた言葉に由来し、四十歳という年齢に達して物事の道理が明らかとなり、確固たる信念を持って生きる境地を表す。