年始とは、一年の始まりの時期を指し、年初や年頭とも呼ばれる。また、新年を祝う行事や挨拶を交わす慣習を意味し、年賀状を送るなどの行為を含む。
始業とは、その日の業務や作業を開始することを指し、始業時間などの表現で用いられる。また、学校において新たな学年や学期の授業を開始する意味もあり、始業式などの形で使われる。対義語は終業である。
始動とは、物事が動き始めること、あるいは機械や装置などに動きを起こさせることを指す。特に、エンジンやシステムなど、動力や機能を有するものを稼働させる際に用いられる表現である。
始末とは、物事の最初から最後までの経緯や成り行きを指す。また、好ましくない結果や結末を意味することもあり、さらに、物事をきちんと処理したり片付けたりする行為も表す。
物事の始まりと終わりを指す。また、最初から最後まで一貫して変わらない様子を表し、常にその状態が続くことを意味する。
創始とは、新たな組織や制度、事業などを初めて設けることを指す。また、その物事の起源や発端を意味する場合もある。
不始末とは、物事の後始末が行き届かず、不注意や怠慢から好ましくない結果を招くことを指す。また、周囲に迷惑をかけるような無分別な行為や不行跡を意味することもある。
魚味始(まなはじめ)とは、幼児が生まれて初めて魚を食べる儀式を指す。古くは三歳頃に行われたが、室町時代には生後百日目、江戸時代には百二十日目に実施されるようになった。真菜始や真魚始とも表記され、魚味の祝いとも呼ばれる。
着衣始とは、江戸時代の正月三が日のうちに吉日を選び、新年に初めて新しい衣服を着用する行事を指し、その儀式自体も意味する。
物事が終わった後に必要な処置や整理を行うことを指し、後片付けや事後処理の意味で用いられる。例えば、食事の後や倒産などの事態の後に、残された状態を整えたり問題を処理したりする行為を表す。表記としては「後始末」と書くこともある。
無始無終とは、始まりも終わりもないことを意味する四字熟語である。仏教においては、無限の過去から永遠の未来へと続く輪廻の連鎖が際限なく続く様を表す。「無始」は始原がなく無限の過去を指し、「無終」は終結がなく永遠の未来を指す。
無始曠劫とは、仏教において時間の始まりがなく、限りなく長い過去を指す概念である。始まりのない遠い昔から続く、はてしないほどの長い時間を意味し、衆生の迷いや輪廻の歴史の深遠さを表現する際に用いられる。
根本に立ち返り、その恩恵を深く心に刻むことを意味する。天地や先祖など、物事の根源となるものから受けた恵みや功績に感謝し、それに報いようとする心構えを表す。『礼記』に由来し、「本に報い始めに反る」とも読まれる。
先従隗始は、『史記』「燕召公世家」に由来する故事成語で、物事を始める際には手近なところから着手すべきであるという教えを表します。郭隗を登用することを第一歩として賢者招致を図った燕の昭王の故事に基づき、遠大な計画を実行に移すときにはまず身近な適切な事柄から始めるべきだという意味で用いられます。
慎始敬終とは、物事の最初から終わりまで、常に注意深く気を緩めることなく、丁寧にやり通すことを意味する四字熟語である。「始めを慎み、終わりを敬う」と訓読され、『礼記』に由来する。
終始一貫とは、物事の始めから終わりまで、態度や行動が一つの方針や考え方で貫かれている様子を表す四字熟語である。周囲の状況が変化しても、信念や主張を揺るがすことなく持ち続ける意味合いを含む。『漢書』に由来し、「一貫」は一筋の道を最初から最後まで通すことを意味する。