今宵は、今日の夜、すなわち今夜を指す語である。特に詩歌や改まった言い回しにおいて用いられ、その夜の情趣や特別な雰囲気を含意することが多い。
待宵とは、陰暦の十四日の夜を指し、特に八月十四日の夜を秋の季語として用いる。翌日の満月を待ちわびる夜という意味合いから、転じて来訪者を待つ夕暮れの情景をも表すことがある。
昨宵とは、昨日の夜、特に日が暮れて間もない時間帯を指す語である。昨夕と同義で、やや古風な表現として用いられる。
春の夜を指す語で、特に春の趣を感じさせる夕暮れから夜にかけての時間帯を言う。春の夜の短さやはかなさ、あるいはその美しさを強調する文脈で用いられることが多い。
宵闇とは、日が暮れて間もない頃の暗さを指す。特に陰暦二十日頃、月の出が遅く宵の間が暗い時期を表すこともある。夕暮れ時の薄暗さの中、人々が家路につくような情景を連想させる言葉である。
夜通し物事に取り組むことを意味し、徹夜と同義である。
宵宮とは、本祭りの前夜に行われる簡素な祭りのことで、よいまつりとも呼ばれる。夏の祭りに関連して用いられ、「夜宮」と表記される場合もある。読み方は「よいみや」ともされる。
待宵草はアカバナ科の二年草で、南アメリカ原産である。川原や空地などに自生し、夏の夕方に黄色い四弁の花を開く。その花は翌朝にはしぼみ、赤みを帯びるようになる。ヨイマチグサとも呼ばれる。
宵待草とは、マツヨイグサの別称であり、待宵草(まつよいぐさ)とも呼ばれる。宵を待つように夕方から咲き始める草花の姿に由来する名である。
春宵一刻とは、春の夜の一瞬一瞬が千金にも値するほど貴重であることを表す四字熟語である。わずかな時間を意味する「一刻」が示す通り、春の夜の短いひとときが格別に情趣豊かで、何ものにも代えがたい価値を持つという趣を、中国の詩人・蘇軾の詩句に基づいて伝えている。
広宵大暮は、永久に明けることのない夜を意味する四字熟語であり、転じて墓の中や死者の帰らぬ世界の喩えとして用いられる。『文選』所収の陸機の「挽歌詩」に典拠を持つ。