こちらは、話し手に近い場所や方向を指す指示語である。話し手自身や、話し手の側にいる人物を指す場合にも用いられる。また、話し手が属する側の事物や状況を示す際にも使われる。
此岸とは、仏教において彼岸の対となる概念で、煩悩や苦しみに満ちた現世を指す。悟りを開いた境地である彼岸に対して、此岸は迷いと執着の世界であり、生死を繰り返す輪廻の領域を意味する。
此君は竹の異称である。中国晋代の王徽之が竹を愛で、「何ぞ一日も此君無からんや」と語った故事に由来する。『晋書』に典拠を持つ。
此土とは、仏教において迷いや苦しみに満ちたこの世、すなわち現実世界を指す語であり、「此岸」と同義である。
「此奴」は「こいつ」と読み、近くにある人や物を指す指示代名詞である。主にぞんざいな口調で用いられ、相手を蔑む場合や、身内を謙遜して言う場合、また同輩や目下の者に対して親しみを込めて使われることがある。人を指すほか、「これ」「この物」という意味で事物を指す用法もあり、例えば「此奴はいける」のように用いられる。古くは「こやつ」と読む場合もある。
「彼此」は「かれこれ」と読み、様々な事柄を漠然と指す「あれこれ」と同じ意味で用いられます。また、あれこれと取り留めなく言う様子や、やかましく口出しをすることを表す際にも使われ、例えば「彼此口出しするな」のように用いられます。さらに、おおよその数量や時間を示す場合にも使われ、「開店して彼此五年だ」とは、開店してからおよそ五年が経ったという意味になります。なお、「ヒシ」と読む場合もあります。